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ながばしり
大館市長走長走
最終更新:2024/07/11
『天明の大飢饉』の死者数は全国で数万人規模と伝えられているが、真澄の記録からでもかなり凄惨な光景が伝わってくる。
とりわけカニバリズム描写の生々しさは下手な怪奇小説よりも真に迫っているだろう。
真澄は弘前、青森から北上し当初の目的地である蝦夷に渡るべく7月に青森の善知鳥神社に詣でたが、飢饉の真っ盛りのため「渡海は3年待て」と託宣を受けて南下したのだった。
📍[コラム2] 標柱データ
・前:菅江真澄の道 長走
・横:天明五年(一七八五)九月二十二日
長走村に宿をとる。《外が浜風》
秋風の誘いひしまゝに蔓さめて 夜半の砧(きぬた)を現にぞきく
天明の大飢饉の様子を克明に記す。
・後:平成四年 北秋田郡青年会
現在は撤去済み。
過去写真から察するに長走風穴館入り口の坂道に建立されていたものと思われる。
![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=570x10000:format=jpg/path/sae55245365a0eef9/image/i5b42ba53a8f3f49b/version/1674106315/image.jpg)
未曾有の大飢饉も今は昔。
現在は国道7号線沿いに風穴館として散策路が解放されている。植物群落の地帯としても楽しむことができる。
📑[コラム3] 天然のクーラーと植物群落
風穴は、隙間の多い石英粗面岩の地質から冷風欠随所から冷風となって吐き出し、 真夏でも10℃未満の地温を保っている。
冬期は、逆に温風欠から暖風となって吐き出される。
このような現象により、きわめて狭い範囲でも高山植物が群生している。
この風穴の冷風を利用して、明治から大正年代に、7つの風欠冷蔵倉庫が建設された。
主に津軽りんごや営林局の種子の貯蔵に利用された。
しかし、電気が普及した昭和30年代頃には、ほとんどの 風欠倉庫は使用されなくなった。
散策コースはだいたい30分ほど。
途中、風穴の倉庫は3つほど現存しており、入口は封鎖されてますが近づくだけで周辺がヒヤリとしている。
高山植物の咲く季節、避暑がてら訪れるのが最適かもしれない(私が行ったのは11月でしたが…)。
- 駐車場:あり
- 案内板:あり
- トイレ:あり
- 備 考:風穴館は12月1日~3月31日は冬期閉館。詳細はこちら。
- 矢立峠
◆参考文献
- 菅江真澄全集第一巻 日記Ⅰ/菅江真澄著
- 菅江真澄遊覧記第1巻/菅江真澄 内田武志・宮本常一翻訳
- 国立国会図書館デジタルコレクション
- 各種説明板
取材日:2017/6/14
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