
やおとめこじょうあと
大仙市長野字長野山地内
最終更新:2025/07/25




- 来訪:文政12年(1829)
- 年齢:76歳
- 書名:月の出羽路 仙北郡
- 形式:地誌、図絵
八乙女山、古城の跡がある。
雄勝郡高松村(湯沢市)に八乙女があり、姓にも八乙女がある。
また『安部戦記』草分本に、
「またところどころに城をかまえ、一番に仙北金洗が城、二番に長野の八乙女が城、三番に神宮寺揚の森」
と見えている。これが昔の阿部一統の城であると、今に伝えられている。
この古城のあとから燃米や燃小豆が出土するといわれる。
《菅江真澄著・月の出羽路 仙北郡》


文政十二年(一八二九)「霞む弥丁女」を記録。「月の出羽路仙北郡」
所在地 秋田県大仙市長野字長野山地内
その文に、此古城の迹より焼米(ヤキコメ)、焼小豆の出るといへり。
平成二年十一月 青少年ふるさと運動実行委員会
(平成二十二年七月 中仙地域菅江真澄研究会更新)
◆園内スポット
玉川と斉内川の合流地点に築かれた中世城館。
規模は東西500m、南北約400m。
築城の時期は利然としないが、戦国期に角館城を拠点として仙北地方一帯を支配した戸沢氏の重臣を担ったと 考えられる八乙女氏が居城したと伝えられる。
頂上部分の東側にある平坦面にある郭(くるわ)を築くなど自然の地形を利用しており、
主郭部分からは仙北平野を一望できる要衝の地である。
菅江真澄の記録から、当時、一大勢力を誇っていた安倍氏の防衛拠点として、
10世紀の初めには城廓として 開発されたものと考えられている。
また、城址には「見張岩」「手投石」「延命水」などのほか、
前九年の役にまつわる 源義家軍との攻防のようすが伝説として残される。

玉川と斉内川の合流地点に築かれた中世城館で、城館の規模は東西五百m、南北約四百mになる。
築城の時期は利然としないが、戦国期に角館城を拠点として仙北地方一帯を支配した戸沢氏の重臣を担ったと考えられる八乙女氏が居城したと伝えられる。
頂上部分の東側にある平坦面にある郭(くるわ)を築くなど自然の地形を利用しており、主郭部分からは仙北平野を一望できる要衝の地である。
文化財保護法に基づく「周知の埋蔵文化財包蔵地」であり、開発事業等の計画者は、
教育委員会との事前協議が必要である。
秋田県遺跡地図掲載番号212-49-37
種別…城跡 遺構及び遺物等…主郭跡
秋田県教育委員会 大仙市教育委員会 建立
平成二十二年三月三十一日 大仙市教育委員会

駐車場 | 案内板 | トイレ |
〇 | 〇 | 〇 |
道の駅 なかせん
秋田県大仙市長野高畑95-1

- 営業時間:9:00~18:00
- こめこめプラザ、直売、各種お食事処etc
駐車場の構造がなかなかクセが強い。
- 幕林八幡宮
◆参考文献
- 菅江真澄全集第
- 国立国会図書館デジタルコレクション
- 真澄紀行/菅江真澄資料センター
- 各種説明板
取材日:2016/04/26、2017/04/25
2025/05/03
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