
すすきのいでゆ
大館市十二所町頭
最終更新:2024/12/28

- 来訪:享和3年(1803)正月~1月下旬
- 年齢:50歳
- 書名:すすきの出湯
- 形式:日記、図絵
- 詠歌:けふに明てけ 見知面影のこまかへり 老もわかゆのわきて長閑き
真澄記:
大滝温泉の奈良屋で正月を迎えた。彼岸まで大館〜十二所内を往来し、出湯の由来を図絵に描く。
夢心地に、湯が湧き流れる音を波が迫る音かと驚いて目が覚めた。
元日の朝、湧き湯で顔を洗い身支度を整えると人々がぞくぞくとやってきて祝い事述べあった。
艮(北東)に陸奥の山や白根金山らしき山々が見えた。
ここの温泉は真珠黄(ゆのはな、硫黄成分)が多く、網の目のように湯に浮いて流れ出るのを童たちがとって遊んでいた。
【お彼岸】
説明文あたたたたたたた
説明文あたたたたたたた
説明文あたたたたたたた
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日記のタイトルにもなっている『すすきのいでゆ』と呼ばれる名前は、
昔、不思議な老人が卵の殻を芒(すすき)に包んで捨てていったところから湯が沸き始めたという故事に由来する。
《すすきの出湯》
しかしながら真澄の聞き書きと現在設置されている説明板の解説とでは内容が異なる。
あ

享和3年(1803)大滝温泉で新年を迎える。《すすきのいでゆ》
けふに明て 見し面影の こまかへり 老いもわかゆの わきて長閑き
平成3年12月 大館北秋田青少年ふるさと運動実行委員会

大滝温泉は大同年間、八幡平焼山の噴火によって湧出したと云われている。
伝説によれば、その昔、どこからか一羽の傷ついた鶴が雜木の茂る芒野に舞いおり数日後揚々としていづこかへ再び翔び去った。附近の住民が不思議に思い、その跡を探したところ、二つの湯元を発見したのでこれを鶴の湯・芒の湯と名づけた。
人々は神の授かりものとして近くに薬師堂を建て薬湯が真価を高めたが旧藩時代は佐竹候の当時場としてその名を知られた。
昭和二十七年四月当時の十二所町に移管され大館市に合併後、昭和四十九年八月源泉保護のため集中管理施設に改めた。
む泉質は含石膏弱食泉で、揚湯は毎分八五〇㍑、温度は六〇度である。
大滝温泉は大同年間、八幡平焼山の噴火によって湧出したと云われている。
伝説によれば、その昔、どこからか一羽の傷ついた鶴が雜木の茂る芒野に舞いおり 数日後揚々としていづこかへ再び翔び去った。
附近の住民が不思議に思い、その跡を探したところ、二つの湯元を発見したので これを鶴の湯・芒の湯と名づけた。
人々は神の授かりものとして近くに薬師堂を建て薬湯が真価を高めたが 旧藩時代は佐竹候の当時場としてその名を知られた。
昭和27年4月当時の十二所町に移管され大館市に合併後、昭和49年8月源泉保護のため集中管理施設に改めた。
- 駐車場:なし
- 案内板:なし
- トイレ:なし
- 備考:足湯は無料
- 十二所
◆参考文献
- 菅江真澄遊覧記第4巻/菅江真澄 内田武志・宮本常一訳
- 国立国会図書館デジタルコレクション
-
- 秋田叢書 別集2巻
- 真澄紀行/菅江真澄資料センター
- 各種説明板
取材日:2017/05/29
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