小沼山観音


こぬまやまかんのん

大仙市豊岡字小沼山

 

最終更新:2024/12/09


🖌菅江真澄の道

真澄記:

 『藻臥束鮒 小沼村』に小沼神社の由緒、十一面観音について記す。

また神社の鳥居から本殿にかけての俯瞰図を3枚に分けて描いた。

  • 来訪:文政11年(1828)
  • 年齢:75歳
  • 書名:月の出羽路 仙北郡 廿三巻
  • 形式:地誌、図絵

  小沼山の山頂に社殿を構える。

昔は神社前の沼に中島があり、それに6尺(1.8m)幅の反橋が架けられ、ここを渡ってお詣りしたと伝わる。

この沼にはフナが多く棲み、このフナを獲って食べるとたちまちに祟りがあると記録する。副祭には沼にフナを放流する。《月の出羽路 仙北郡》

フナは神の使い

 平安時代の『十一面観音菩薩立像』と『聖観音菩薩立像』の二体が安置される。真澄翁はこの二体の菩薩像について項を割いて詳細を書く。

《月の出羽路 仙北郡》

◆小沼山神社 由緒

  • 草創:養老2年(718)
  • 御祭神:
  • 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
  • 伊邪那美命(いざなみのみこと)
  • 大山祇之命(おおやまずみのみこと)
  • 久々理比女命(くくりひめのみこと)
  • 例祭:8月20日
  • 別名:小沼神社
標柱

菅江真澄の道 小沼山観音

 文政十一年(一八二八)小沼山を記録 月の出羽路仙北郡

その文に十一面観音小沼といふ庵に座あり

平成三年十一月 中仙町菅江真澄研究会

 
 

秋田県指定文化財
聖観音菩薩像・十一面観音菩薩像

 

 聖観音菩薩像は、ケヤキ一木造の像で、材料や手法から地方仏師の手によるものと思われる。全姿は細身に作られ、唇に朱色が残り、額に大きな白毫(びゃくごう)の跡がある。

 十一面観音菩薩像は、カツラ一木造で、胡粉(ごふん…貝殻を原料とした白色顔料)塗彩の跡が残っている。天衣をまとい、裳(も)を着けた立像である。

 どちらも平安時代の作と推定され、これら二体の仏像は神殿内の厨子(ずし…小沼観音堂厨子/市指定文化財)の中に納められている。※県指定の仏像二体のほかに、県指定の「木造僧形頭部」がある。

〈県指定文化財〉

〈彫刻〉 

秋田県教育委員会 大仙市教育委員会



 
小沼神社

 小沼神社は小沼観音堂とも呼ばれ、ここ小沼山の山頂にあります。昔は、神社前の沼に中島があり、それに6尺(1.8m)幅の反橋が架けられ、ここを渡ってお詣りしたと言われています。
 養老2年(718)の草創と言われるこの神社は、平安時代の「十一面観音菩薩立像」、「聖観音菩薩立像」の二体が安置されています。いずれも欅の一本造りで、等身大の量感あふれる作品で、当時の仏教芸術の極致を見ることができます。 また、神殿の中にある厨子は唐風造りで、総彩色の上神殿には二体の獅子頭が保存されています。山頂には白山社、諏訪神社、長床跡のほか、地名の由来ともなった峰の小沼は現在も絶えることなく清水が湧き出ています。
 文政11年(1827)、菅江真澄はここを訪れ、古老の言い伝えを交え神社の、由来を詳しく書き残しています。

 参道入り口に建立。他に説明板あり。


図絵検証
甲 乙 丙PHOTO

 

甲 乙 丙PHOTO

見出し
⊞ 旧祭事・獅子舞

 神社に獅子頭があって昔は集落で獅子舞をされていたが、
他集落の獅子舞が小沼にはいるのは獅子が喧嘩するので禁忌とされた。
それは獅子舞関係の縁起物も含まれる。
 現在は舞も失伝しているが、ご開帳時に拝覧できるという。
(地元の方談)

※注釈

あああ


十六沢城址

 10世紀頃に豪族・宮藤六兵ェによって築かれ、後に角館の有力豪族・白岩氏の支配下に置かれた城址。

現在は緑地公園として整備され、炊事場などもある。

⊞ 真澄記:《月の出羽路 仙北郡》

 天喜5年(1057)、小沼等8ヶ村を支配した左近将監有信の家臣、宮藤六兵衛尉藤原正種が城主となった。

  天喜5年(1057)、小沼等8ヶ村を支配した左近将監有信の家臣、宮藤六兵衛尉藤原正種が城主となった。

《月の出羽路 仙北郡》


県民憩いの森 十六沢城址

 

 十六沢城址は、町の東端にあり小沼山に連なる標高200mの小高い山に位置しています。

 この城址の由来について『秋田風土記』には、10世紀のころ宮藤六兵ェ、左近の将監に任じ、名を有信といって、小沼等8ヶ村を有し、十六沢城を築いた。天喜5年(1057)兵火のため焼亡、建暦2年(1212)白岩城主・善右ェ門のために落城したと記され、白岩の支城の役割りを果たしていたと考えられています。そのあと天正年間に白岩城が角館城の戸沢盛安に攻められ落城し、十六沢城は廃城になったとあり、鎌倉時代初期の山城であったとおもわれます。今も馬場址や井戸沢の址といわれる場所が残され往時が偲ばれます。 頂上からは町全体がパノラマのように広がり、昭和54年に秋田県憩いの森の指定を受けています。



 
十六沢城

事業主体/大仙市
管理/十六沢城址緑地公園を守る会
 秋田県水と緑の森づくり税を活用して整備されています・沿革 十六沢城は中世の山城跡で、その沿革は不明な点が多い。
 10世紀ころ宮藤六兵衛が築いたとされ、その後、天喜5年(1057)に兵火のため焼亡。建暦2年(1212)に白岩城主・自岩善右衛門のため落城した。
 その後、十六沢城は白岩氏の支城の役割を果たしたようであるが、天正年間に白岩城が角館城の戸沢盛安(1566~1590)に攻められ落城し、十六沢城は廃城になったと伝えられている。
出典/中仙町史 通史編
・構成
 入角沢(いりすみさわ)を北西方向に流れる斉藤川南岸に位置する。
標高およそ220mの山城で東西・南北は約300m、標高頂上部に自然地形を利用した約600mの主郭が存在する。
その西側には長さ120m、幅5-6mの帯郭が配される。主郭南側には尾根を利用した平坦面(郭)が4段続き、その間に2条の空堀が尾根を切っている。北側にも平坦面が傾斜面を利用して布設され、北麓近くに1条の空堀がある。
 また、十六沢城の南には小沼神社があり、十一面観世音菩薩像、聖観世音菩薩像、木造僧形頭部(いずれも県指定有形文化財)が安置されている。

◆鳥越の滝

 小沼神社から約1KMほど南に位置する小滝。

⊞ 真澄記:《月の出羽路 仙北郡》

 真澄翁の記録では、小沼神社の水元はこの鳥越の澤から引く、と記録。

  小沼神社の水元はこの鳥越の澤から引く。

《月の出羽路 仙北郡》

●諏訪神社

 小沼神社近辺に位置する。

一時期小沼神社と合祀されて豊岳神社に改名していたという。明治以降戦前の時期か。

(ゆーふぉ様より談)



アクセス

  • 駐車場:なし
  • 案内板:なし
  • トイレ:なし
  • 備考:わりとガチ登山になるので参詣の際はそのおつもりで。

関連アーカイブ

でわwiki関連リンク

◆参考文献


取材日:2016/10/27

2022/09/19