
かんぷうざん
男鹿市脇本富永字寒風山
最終更新:2024/12/09


- 来訪:文化元年(1804)8月
- 年齢:51歳
- 書名:男鹿の秋風
- 形式:日記、図絵
8月21日
昔は妻恋山・また羽吹雪山(はぶかぜやま)とも呼ばれた。
よじ登ってみると、八尺あまりの九層の古い石塔がある。
この寒風山の麓は、湖と海にとりまかれていて、ちょうど近江国(滋賀県)の伊吹山のようで、三千世界も一望のうちに尽きるかと思われ、すばらしい眺望であった。《男鹿の秋風》

文化元年(1804)8月21日、雄潟の渡しで天王から船越を経て寒風山に登る。
昔、この寒風山の名を妻恋山・また羽吹雪山(はぶかぜやま)ともいったということである。ようやく、よじ登ってみると、八尺あまりの九層の石塔がある。どのくらい年数を経たものであろうか、そこに苔など生いひろがっている。この塔のそばに倒れている近世の石碑に、梵字がかすかに見られた。
右手の谷に岩山があり、そのあたりの落窪になっているところを『旧珠の池』といい、大蛇が通ったという大岩がある。この寒風山の麓は、湖と海にとりまかれていて、ちょうど近江国(滋賀県)の伊吹山に登り、左方に毛無山、右方に貝津、山本山など見わたしたようで、三千世界も一望のうちに尽きるかと思われ、すばらしい眺望であった。
- 駐車場:あり
- 案内板:あり
- トイレ:あり
- 備考:なまはげソフトおいしいれす(^q^)
寒風山で真澄翁が来訪した場所は複数あるが、年月日もバラバラなのでここでは個別にデータを記載します。
あ
◆寒風山 山頂
- 来訪:文化元年(1804)8月
- 年齢:51歳
- 書名:男鹿の秋風
- 形式:日記、図絵
- 内容:雄潟の渡しで天王から船越を経て寒風山に登る。
あ
- 駐車場:あり
- 案内板:あり
- トイレ:あり
◆参考文献
- 菅江真澄全集 第四巻 日記Ⅳ/未来社
- 菅江真澄遊覧記第5巻/菅江真澄 内田武志・宮本常一訳
- 国立国会図書館デジタルコレクション
- 秋田民話集一二〇選/秋田魁新報社編
- 各種説明板
取材日:2016/06/07
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