おうしゅうふじわらし ひげきのち
大館市 二井田上出向~比内町八木橋五輪台
最終更新:2026/03/04
見出し
文治5年 (1189)、奥州平泉の藤原氏4代泰衡は、源頼朝に追われ家臣・河田次郎を頼ったが裏切られ謀殺された。
旧9月3日夜、河田は家来を使い頼朝の大軍が攻めたように見せかけ、泰衡が観念し切腹するよう仕向けた。
泰衡の遺体は里人に埋葬された。
- 来訪:享和3年(1803)6月2日
- 年齢:49歳
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書名: にえのしがらみ『秋田叢書』別集 第4 (菅江真澄集 第4),秋田叢書刊行会,昭和7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1174008 (参照 2024-10-27)
- 形式:日記
- 詠歌:たのみつるその木のもとも吹風のあらきにつゆの身やけたれけむ
- 来訪:享和3年(1803)6月2日
- 年齢:49歳
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書名: にえのしがらみ『秋田叢書』別集 第4 (菅江真澄集 第4),秋田叢書刊行会,昭和7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1174008 (参照 2024-10-27)
- 形式:
- 詠歌:たのみつるその木のもとも吹風のあらきにつゆの身やけたれけむ
説明文
《菅江真澄著・にえのしがらみ》
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Cpt.1 錦神社
- 山域:
- 標高:
- 祭祀:
- 宿泊:
- 別名:
たのみつるその木のもとも吹風のあらきにつゆの身やけたれけむ 菅江真澄
平成元年7月22日 建立 大館市立南中学校PTA
た 江戸時代の紀行家菅江真澄(一七五四-一八二九)がこの地を訪れたのは、 今から一八六年前の享和三年(一八〇三年)旧暦六月二日、四九才のときでした。 真澄はその時の様子を「贄能辞賀楽美(にえのしがらみ)」という紀行文に書き残し、 この錦神社にまつわる村人の心やさしいはからいと、泰衡の命日にちなむ行事を紹介しています。 東北の支配者藤原四代目泰衡が、頼みにしていた旧臣に裏切られ、霞のように 消えてしまった歴史的事件を偲んで、哀悼をこめて詠んだのがここの歌碑の短歌です。
平成元年7月22日 建立 大館市立南中学校PTA
たのみつるその木のもとも吹風のあらきにつゆの身やけたれけむ 菅江真澄
平成元年7月22日 建立 大館市立南中学校PTA
奥州平泉(岩手県)の藤原氏四代泰衡は、源頼朝に追われ、エゾ地に逃れようとして にえの柵 現二井田に家臣河田次郎を頼って立ち寄ったところを、その裏切りにあって殺された (文治元年 一一八九-九月三日)。 地元の人々は、そのことを次のように語り伝えている。 河田次郎は、「泰衡をかくまって罪になるより、泰衡を討って頼朝の恩恵を」と考え、 主人殺しの罪にならずに泰衡を討つ計画を練った。 旧九月三日の夜、次郎は多くの家来を使って頼朝の大軍が攻め入ったように見せかけ、 泰衡が観念して切腹するよう仕向けた。 この計画は成功し、次郎は泰衡の首をはねた。 その後、首のない泰衡の死体は、里人によって錦の直垂に大事に包まれて埋葬されたという。 この墓が「にしき様」と呼ばれて当神社となり、毎年旧九月三日にお祭が催されている。 ここから南西約三キロメートルの五輪台(比内町西館)には、 泰衡のあとを慕い、長い旅を続けてきた奥方と、忠僕にまつわる話が伝わり、 その遺跡は西木戸神社として祭られている。
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Cpt.2 西木戸神社
追記
- 山域:
- 標高:
- 祭祀:
- 宿泊:
- 別名:
奥州平泉藤原泰衡の夫人を祀る。
文治5年(1189)、夫の後を追い辿り着いた夫人は、既に泰衡が河田次郎によって処された事実に嘆き3人の子を道連れに自害した。
下僕の由兵衛は夫人の遺骸を埋め、法師となって弔い、やがて自刃したという。
追記
INFORMATION
| 駐車場 | 案内板 | トイレ |
| 〇 | 〇 | × |
| 駐車場 | 〇 |
| 案内板 | 〇 |
| トイレ | × |
- でわwikiリンク
- 仮メモ用
◆参考書籍
- 菅江真澄全集 第/未来社
- 菅江真澄遊覧記第 巻/菅江真澄 内田武志・宮本常一訳
- 国立国会図書館デジタルコレクション
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- 秋田叢書 (保護期間満了)
- 図絵引用(編集・加工済):
- 真澄紀行/菅江真澄資料センター
- 各種標柱・説明板
取材日:2017/04/15






























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