
なかむらななふしぎ
北秋田市阿仁中村周辺
最終更新:2025/01/07



『七不思議』…
それはあまねくオカルトマニアたちの心をくすぐる甘美なる響き。
ピラミッド、バビロンの空中庭園、アレクサンドリア大灯台…な世界の七不思議。
トイレの花子さん、走る人体模型、動く音楽室のベートーヴェン…な学校の七不思議。
そんな群雄割拠たる七不思議がここ秋田にもあるとあっては血湧き肉踊るも無理からぬことであろう。
私は胸を高鳴らせるままに北秋田市は阿仁へ向かった。
打当温泉で湯に浸かりながら地元の古老のお話を聞いてると、やはりというか熊の話題となった。
「ここ数日前も近所のヤツが熊に襲わェでよォ、オメは山に入るのかい?悪ぃこた言わねえけどやめた方がいんでねェがなァ」
みたいなご忠告をごまんとお受けする。
近年の熊目撃・被害の事例は人里にまで敷居を広げ、今や秋田県は押しも押されぬ熊多発地帯となった。
追記
【①梁木石(はりき石)】

中村に由蔵という薪切りの達人がいた。
ある日、いつものように大夫沢でマサカリ一丁で薪切りをしていると、木の根元にケガをした白いキツネが一匹倒れていた。
気の毒に思った由蔵はそのまま家に連れて帰り傷の手当をすると、キツネは嬉しそうに後ろを振り返りながら林に消えていった。
秋、冬ごもりに備えて由蔵は薪切りをしていたところ、近くで身の丈七尺もある山オジが現れた。驚いた由蔵はマサカリを捨てて一目散に我が家へ逃げ帰った。
何日かして、おそるおそる大夫沢へ行ってみると、由蔵が切った薪が積んである近くで、山オジがマサカリを一心不乱に振り下ろし、木を切っている。その速いことといったら、見る見るうちに一張、二張と切り出しては割り、割っては積み重ねる。ふとあたりを見ると、キツネが一匹、頭をこっくりこっくり振りながら山オジのすることを見つめていた。
しばらくして、山オジは積み重ねた薪を運び出そうと手に抱えた。山オジは顔を真赤にして持ち上げようとしたが、薪はびくともしない。山オジはとうとうあきらめてマサカリを放り出し、ほうほうのていで森吉山へ逃げ帰った。由蔵がその薪に近づいて持ち上げようとして驚いた。それはそのまま石になっていたのである。いつのまにかキツネも姿を消していた。
由蔵は「これはきっと、このあいだ傷の手当をしてやったキツネがしたことにちがいない。」と思った。あのときの恩返しに、山オジをこらしめてやったのだ。由蔵はうれしく思いながら家路についた。
以来、山オジは二度と大夫沢に来ることはなかった。いまでも大夫沢の山林に張積の割薪の化石がある。
北秋田市・北秋田市商工会・北秋田市観光協会・中村自治会
追記
【②大石(サンコ姉石・力石)】

水上沢の大石の上に若い娘に化けては村人に声をかける『サンコ姉』と呼ばれる狐がいた。
岳の山オジが大石を転がして道を塞ぎ村人を困らせるので、強力弥三郎が投げ返し、二人は互いに大石の押合いになり、力尽きた山オジが岳に退散したという伝説の場所です。
比立内の小高い山の上に弥三郎の墓がある。
追記
【③マサカリ石(斧石)】

オセンという美人娘がいた。
善作と恋仲になり若者達の羨望の的であった。
恋かたきの伊助が横恋慕からマサカリ(斧)を投げつけて庭の碁打ち石に傷がついた。
邪推の心を戒めるために村の神社の参道に保存したものという。
【④笠かぶり石】


別名兜石。
編み笠姿の旅の僧が悪さをする山人(山オジ)から村を守るため、立ったまま石になったと伝えられている。
むかし、この中村にも先住民族と思われる者が住み、山窩(さんか)生活をしていた。山窩生活をする者の中には食に困り夜になると村里に忍び降りて略奪暴行をする者もあり、村人はこれを山オヤジと呼んで恐れていた。
毎年初冬のころ森吉山の空台のオジ穴から峰づたいに降りて、中村の曲戸台地から村里に忍び下りては穀物やニワトリなどを奪い取ってゆくのであった。
村人はこの季節になるとよるには固く戸締りをして不安な生活をしていた。
ある晩秋の夜、深編笠の旅の僧がこの地を訪れ、宿を乞うたが、どの家も固く戸を閉ざして、旅の僧を入れてくれなかった。
ようやく村はずれの一軒家で戸を開けてもらうことができた。旅の僧が村の事情を尋ねると、山オジが下りて来て悪さをすることを話した。旅の僧は
「それでは私がその山オジを退散させ二度と下りて来ないようにしてあげましょう。」
と力強く約束した。
旅の僧は夕食を食べたあと、身支度を整え、裏山に向かった。村人は旅の僧の無事を祈り、戸締りをして休んだ。しかし、夜が明けても旅の僧は帰って来なかった。さらに二、三日しても帰って来なかったので、村人たち五、六人が台地に向かった。ふと見ると林の中に笠を上に雪をかむった旅の僧が見えた。村人たちがほっとして旅の僧に近づいて見ると、驚いたことに旅の僧は笠をかむったまま立ち往生した形で石となっていたのである。
いかにも安心したような表情で村里の方をじっと見つめているのであった。村人たちはただ驚き、感謝の念いっぱいとなって、思わず膝まずいて合掌するのであった。
以来、山オジが二度と下りて来ることはなかった。
追記
【⑤ユルギ石(動石)】

伴五郎という百姓がヤジ(湿原)を開墾して稲籾を蒔いて稲作を始めたところ、その水源に大きな石があった。この石が揺れ動くと雨が多くて不作となり、動かない時は豊作となることわ知った。
以後村人の作占いする石として祭るようになった。
追記
【⑥瘡石(カサ石)】

打当中ノ又金山が探鉱でにぎわった頃、
大覚野峠を越えて出稼ぎに来て帰らない夫を探しに来た女がいた。
カサ・クサ(瘡病)に苦しむ幼児を背負い疲れ果てた容姿で行く道の教えを乞うた若い女に「今夜は私の家に泊まって、夜明けに行くように」と進めたが、「一刻も早く夫に会いたい」とのことで山に入って行った。
村人は哀れに思い無縁墓地に弔い供養してやった。以後、疾病除けの神として信仰してきたという。
追記
【⑦駒爪石】

中村に馬長者あり、若葉香る頃には恒例の馬品評会が行われていた。
親孝行娘と評判のイシが育てた「青」は一際目を引く二才駒である。
長い冬から解放された元気な青が道端の黒光りする大石の上を飛び越えた。すると黒光りする大石の上にひ蹄跡がクッキリと残った。村人は驚き長者はイシから種牝馬として譲り受け、多くの名馬を産出した。
青の死後、村人は大石の側に葬り馬頭観音堂を建てて祭るようになった。
追記
追記
文章
ツールチップ真ん中説明あたたたたたたたたたたたたた
ツールチップ右寄せ説明あたたたたたたたたたたたたた
ツールチップ左寄せ説明あたたたたたたたたたたたたた
追記
駐車場 | 案内板 | トイレ |
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◆参考書籍
- 菅江真澄全集第/
- 菅江真澄遊覧記第4巻/菅江真澄 内田武志・宮本常一訳
- 国立国会図書館デジタルコレクション
-
- 秋田叢書 巻
- 真澄紀行/菅江真澄資料センター
- 各種標柱・説明板
取材日:2017/08/01
2018/10/19
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