いづがわ
大館市出川上沢岱~板沢甲上野~二井田下モ四羽出
最終更新:2026/05/21
見出し
Cpt.1出川の欅と四羽出
夏草をわけいで河に日はくれぬ 水ひとむすび ふたむすびして 享和三年(一八〇三年) 菅江真澄 平成元年七月二十二日 建立 大館市立南中学校PTA
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昭和五十三年三月十三日指定 所在地 大館市出川字上沢岱四十六の一 所有・管理者 出川部落 村の言い伝えによると、この欅は樹齢千年を越え、小松源七という人が植えたもので、 板沢八幡神社の欅と板子石山神社の欅と兄弟木であると言われています。 大正時代の初め、所有者 佐藤東吉が「若木山大権現」という神の名をいただいて以来、 部落の守護木として毎年旧暦四月八日に祭礼が行われています。 樹肌に無数発育しているコブは、乳の形をしていることから「乳母の欅」ともいわれ、 乳が出ない産婦がこのコブをさすって願いをかけると乳が出るようになるという。 また近年は、乳がんの予防やいろいろなことを祈願する「霊木」として、 人々から広く信仰されています。 「欅アラカルト」 一、太さ 根かぶ回り日本一 一、幹の回り 十七、一メートル 一、根かぶ回り 二十八、四メートル 一、主幹の直径 二、五メートル 一、樹冠 東西三十メートル 一、 南北二十八メートル 一、樹高 二十五メートル 一、コブの数 無数(かぞえてみてください) 一、特徴 (一)同じ根から五本の欅が立ち上がり、その樹姿は威容、壮観です。 (二)横に伸びた太い根かぶから欅が立ち上がっているのは、全国的にもめずらしく、 非常に貴重なものです。 (三)幹の内部は、地上六メートルまで空洞で、底のほうは、タタミ八畳の広さがあり、 神秘で幽玄さが感じられます。 外観、内部ともにこの巨木の生きぬいてきた長い年月とその重みを感じながら、 この霊木に願いを込めたらいかがでしょう。 平成元年六月十日 大館市教育委員会
村の伝説によると、この欅は今から700年前以上の昔に小松源七という人物が植えつけたもので、 板沢の八幡神社の欅と板子石の山神社の欅とは兄弟木であるという。 この欅についての古記録などは幕末頃まではあったが、その頃おこった大火の際に、それらの 古記録も失われてしまったという。 この欅は、出川村の入口に高くそびえ立ち、はるかかなたからも遠望され、村の象徴であるとともに、 村を守護する霊力を備え持つ霊木であると信じられるようになり、 村民の尊崇の対象となってきたものである。 大正初期頃、この欅及び土地の所有者の佐藤東吉がこの欅を神として祀り「若木大権現」の尊号を奉り、 毎年4月8日村民と共に祭礼を行ってきた。 さらに、この欅の根元の部分の周囲に発育している多数の巨大なコブもまた信仰の対象となり、 母乳の出ない産婦が白布で作った細長い小袋に白米を入れ、それをコブに備えてお祈りをし、 それを持ち帰り飯に炊いて食べると母乳が出るようになると信じられてきた。 この欅は、大正初期頃には枝がすこぶる繁茂し、枝の先が地面に届くほどであった。 当時の古老の言うには「欅の枝がこのようになるには大変な老木で、たとえば千年くらいも経った 木でなければこうはならないものだと聞いている」と言ったという。 根元から分かれている5本のうち一番太い木は昭和30年代に幹の中間部にかめ蜂(スズメバチ)が 巣を作ったので、その駆除のため火をつけたことから樹勢が弱まり、昭和40年代半ば頃 根元から高さ13m位のところで折損してしまった。 しかし幹の残部はその後再び樹勢回復の兆候を見せ、根元にあいていた穴も次第に小さく縮まり、 また幹のtころどころに新しい幼枝も見られるようになってきた。 他の4本は樹勢がすこぶる盛んでますます繁茂を続けている。 この欅は1本の根より5本に分散、一番太い木は直径2.5m、 一番の樹高は23m、樹冠は東西南北約27m、根株は東西約5m、南北約8mである。 (「大館の歴史」より)
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説明文
あたたたたたたた
《あ》
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ふしなびく野路のしのはへ風おちてたもとすずしく渡る舟長 菅江真澄 平成元年七月二十二日 建立 大館市立南中学校PTA
江戸時代の紀行家菅江真澄(一七五四-一八二九)がこの地を訪れたのは、 今から一八六年前の享和三年(一八〇三年)旧暦六月二日、四九才のときでした。 真澄は、その時の様子を「贄能辞賀楽美(にえのしがらみ)」という紀行文に、暑さと 疲労のため体調をくずして出川の佐藤久五郎氏宅に二週間ほど滞在した後、下河原を通り 二井田野に出て、蓑掛け松のそばを通って下羽出(しのはい)という村に着いた、書き残しています。 ここから、大館へ行くために舟で米代川を渡ったのですが、今まで強かった風もおさまり、 船頭が涼しげに舟を漕いで行く様子を詠んだのが此処の歌碑の短歌です。 平成元年七月二十二日 建立 大館市立南中学校PTA
説明文
あたたたたたたた
《あ》
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題
題
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Cpt.2 板沢一里塚
追記
文政四年(一八二一)正月九日「新古祝甕品類之図(しんこいわいべひんのかた)」 吾妻橋の春といやいわむ不二の峯の 雪より明けて霞む月 平成三年十二月 大館北秋田青少年ふるさと運動実行委員会
平成元年三月三日指定 所在地 大館市板沢乙上野43 44番地 所有者 大蔵省 管理者 大館市 … 一里とは今の約四キロメートルに当たり、この距離ごとに街道の両側に土を盛り、樹木を植えて 旅人の目標とさせ、また距離の目安、乗り賃の支払いの目安としたり、また日差しの強い日には 木かげの休憩所になるなど、色々とされ、徳川時代の制度として全国の主な街道に築かれました。 この一里塚は、羽州街道の脇街道として田代町右瀬から分岐し、鹿角市に至る「鹿角街道」 (現国道)わきに建てたもので、今からおよそ三八〇年前、江戸時代初期のものです。 塚の上には樹齢約四十年のえんじゅが植えられ、道路をはさんで一対の塚として今なお 残っている貴重なものです。 昔の旅人たちは、ここで一服しながらどんな情報交換をし、どんな夢をめぐらしたことでしょう。 交通の発達とともに自然と失われがちなこの史跡を、みんなで大切に保存していきたいものです。 ・この塚は底面直径約三、五メートル、高さ約一、四メートル ・向かい側の塚は、底面直径約三メートル、高さ一、八メートルです。 平成元年六月某日 大館市教育委員会
説明文
あたたたたたたた
《あ》
追記
Cpt.3 タイヤロボ
INFORMATION
| 駐車場 | 案内板 | トイレ |
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なまえ
住所
- 営業時間:9:00~15:30
- 料金:
内容説明
- でわwikiリンク
- 仮メモ用
◆参考書籍
- 菅江真澄全集 第/未来社
- 菅江真澄遊覧記第 巻/菅江真澄 内田武志・宮本常一訳
- 国立国会図書館デジタルコレクション
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- 秋田叢書 (保護期間満了)
- 図絵引用(編集・加工済):
- 真澄紀行/菅江真澄資料センター
- 各種標柱・説明板
取材日:2017/04/15



























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