
はたなかのにおうさま
仙北市西木町桧木内畑中
最終更新:2025/06/10


「人形道祖神」という文化は秋田の民俗風習を知る上で決して無視できぬ存在であり、またその特異な個性を人を惹き付ける魅力を持ち合わせている。
だって見知らぬ集落を通過しようとするとケッタイな顔した等身大のワラ人形が道路脇に突っ立ってるんですよ?初見で二度見するなという方が無理なご相談であろう。
人形道祖神の多くは集落の出入口に立ててあるのが通例であり、それは集落に入る厄災を退けるための任を請けてくださっているからであるが、今記事にて取り扱うショウキ様は集落のガードマンではなく村を見下ろす高台に鎮座ましましている。
彼はいったいどんなご尊顔をして、何を思って山の上に居られるのか?
その去就を追ってみよう。

・はじまりは百年以上前と言い伝えられている。
・理由は、昔の人たちは疫病を極端に恐れて、恐怖のあまり、住民の息災と悪病の退散を願って建てられたようだ。
・胸札には「疫病退散」「家内安全」と書かれている。
・立てる時期は、旧暦4月8日前後の日曜日に各戸一人当の参集によって行われている。
・「仁王様」を作る材料は、ワラカヤ杉の長木が主である。
・「仁王様」の顔は、はじめ俵に書いて(目、鼻、口)いたが、風雨で流れてしまうので、地域の建具師佐市氏が大正12年(1923年)に木製の面を制作した。
この面も70数年の年月を経て変形したので、平成8年(1996年)に、田口宗之助氏・小田島安氏によって新しい木製の面が製作された(古い面は稲荷神社に保存されている)。地域住民は「お仁王様」と称してあがめ、本来の意味に、融和・親睦を加味しながら行事が進められている。
西木村教育委員会 平成14年5月5日
国道105号線と並走するように北に伸びた畑中地区のちょうど真ん中あたりに位置する辻にその丘がある。
自治会館の脇に説明いたと入り口たる鳥居があるので発見は容易だろう。
駐車場はないのでどこか邪魔にならぬよう車両は停めねばならない。
すぐ真上に神様が見ておられるので不正は許されぬ。
会館の後ろ、結構な勾配つづら折りの道が連なる。小山とはいえ転がぬよう心して登る。
小山の頂上から巨大な藁人形がその体躯を覗かせている。まるで村全体を見渡すように文字通り仁王立ちしていた。
これが畑中の鐘馗様である。なかなかケレン味のあるご登場だ。
- 形態:藁人形
- 体長:2m強
- 個体数:1体
- 材質:ワラカヤ杉の木組み、藁、木彫面
- 武器:長槍、脇差
- 作り替え:旧暦4月8日(往事)
体躯も大きい部類で、両手に袖のように広がる藁が特徴的。
あああ
始まりは百年以上前と言い伝えられ、『疫病退散』『家内安全』の御利益を願って立てられた。
材料はワラカヤ杉の長木が主に用いられ、顔は当初は俵に顔を書いていたが、風雨で流れてしまうので地域の建具師佐市氏が大正12年(1923年)に木製の面を制作した。
現在の面は平成8年(1996)に田口宗之助氏・小田島安氏によって新しい木製の面が製作された(古い面は稲荷神社に保存されている)。
地域住民は「お仁王様」と称してあがめ、本来の意味に、融和・親睦を加味しながら行事が進められている。
(説明板より)

お面もどことなく水木しげる御大が描いた妖怪『山爺』に似ている気がします。
建っている場所も含めて非常に印象的な人形道祖神でしたが、令和3年5月現在、作り手が途絶えたそうで姿を消してしまいました。
となりの高野地区にもかつては鍾馗様が建っていましたが、これで桧木内に残るのは吉田のワラニンギョウのみとなりました。
伝承が途絶えたのは残念ですが、復活した事例も多々あるのでいつかまた雄々しい姿を見せてくれる日を切に望みます。
あああああ
駐車場 | 案内板 | トイレ |
× | × | × |
◆参考文献
- 各種説明板
取材日:2018/07/15
2019/04/10
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