
さんずがわ
湯沢市桑崎天矢場
最終更新:2025/01/04

- 来訪:文化11年(1814)9月
- 年齢:61歳
- 書名:高松日記
- 形式:日記、図絵
【9月5日】
坊沢から三津川(三途川)村に来てしばらく休んだ。ここを勢いよく流れる川は、泥湯川・川原毛川・桑野沢川の3つの瀬がひとつに落ち合ってその名を三津川という。
近くの十王堂にはたくさんの木仏が並ぶ。《高松日記》
《高松日記》

この渓谷は激しい水の流れが川岸の岩や山肌を削ってできたV字谷です。
川底から橋までの高低差は40mあります。
絶壁の岩肌には、しま模様の地層が見えます。
この地層は三途川渓谷の周辺でよく見られるため、「三途川層」と名付けられました。ゆざわジオパークを代表する地層のひとつです。
かつてこのあたりには、大きなカルデラ湖がありました。
三途川層はこのカルデラ湖の底に泥や砂、火山灰などが堆積したもので、
ゆざわジオパークの広い範囲に分布しています。
ゆざわジオパーク推進委員会
アコーディオン

あああ
倒壊、放置。
駐車場の隅っこにひっそりと土を被っている。おかげで何書いてるか分かりゃあせぬよ。湯沢市の標柱倒壊率は群を抜いておる。
やはり豪雪地帯の中の維持は難しいか。
三途川渓谷の周辺でよく見られる地層は『三途川層』と名付けられた。かつて大きなカルデラ湖があり、層はこのカルデラ湖の底に泥や砂、火山灰などが堆積したものである。
《説明板より》
◆三途川十王堂
【9月5日】
三途川には奪衣婆(うば)の像を造りすえてその由緒で優婆堂村とよんでいる。
その中に道祖神が祀られており、女陰の形をじた石が多く置かれている。
十王道があり、たくさんの木仏が並んでるなかで御幣を持った仏が5、6柱もある。
由来不明。
《高松日記》
真
今から1190年程前に、川原毛地獄山に建立された霊通山前湯寺は、明徳4年(1393)、栴檀(せんだん)上人によって此の地に移された。
栴檀上人は、自分の願いが叶ったとして、自ら火定(焼身自投)によって大往生を遂げた。その場所は近くにあり『栴檀塚』又は『千駄森』と呼んでいる。
長祿元年(1457)稲庭城主・小野寺道広は、この寺を住僧養国祖璨(ようこくそさん)和尚と共に稲庭に 移し、(寺号を嶺通山広沢寺と改め)小野寺氏の菩提寺とした。
小野寺氏は前湯寺を稲庭に移転するにあたり、この地に十王堂を建立した。
昭和43年、湯沢市の湯沢市指定有形文化財に指定されている。
(説明板より)

昭和43年12月23日指定

- 駐車場:あり
- 案内板:あり
- トイレ:なし
◆参考文献
- 菅江真澄遊覧記第5巻/菅江真澄 内田武志・宮本常一翻訳
- 国立国会図書館デジタルコレクション
- 秋田叢書 第3巻
- 真澄紀行/菅江真澄資料センター
- 各種説明板
取材日:2018/11/03
2021/10/15
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