
【かまだ まさやか】
【人物】
-
古四王神社神職、国学者
-
生没年:安永2年(1773)〜天保12年(1841)
-
別名:正宅、広海、直記
秋田市寺内の古四王神社(厳密には末社の田村堂)神職。または本居大平門下の国学者。
菅江真澄は文化9年(1812)に寺内を訪れ、正家と懇意になり《水の面影》を書いた。
また同年7月に真澄は正家、那珂通博ら国学者メンバーとともに太平山に登り、《月のおろちね》を書いている。
【真澄との交流】
・文化9年(1812)春
真澄は正家ほかを案内人として、寺内地区を二日にわたって探訪し、《水の面影》上巻を書いた。
・同年7月
真澄は正家とともに那珂通博らとともに太平山登山を敢行し、《月のおろちね》を書く。
・文化10年(1813)
正家は外旭川八幡田の三浦家の稲荷堂の棟札を書いているが、これの裏面には真澄の和歌が記されている。このころは鎌田家を根拠地にしていたのであろう。
・文化14年(1817)
真澄は正家とともに寺内、土崎から新城地区(秋田市)を巡って《おがたのつと》を書いたのであるが、これは数枚の断簡が残されているのみである。
このご縁のおかげか、真澄が七十余年の生涯を終えた時にその遺体は鎌田家の墓地に埋葬された。
◆参考文献
- 菅江真澄読本4/田口昌樹 著
- 菅江真澄遊覧記第4巻/菅江真澄 内田武志・宮本常一訳
- 国立国会図書館デジタルコレクション
-
- 秋田叢書
最終更新:2024/12/01
コメントをお書きください