秋田のかりね


秋田のかりね

【読み】あきたのかりね

【史料、文献】


 

菅江真澄著作

秋田のかりね 概要
秋田のかりね
  • 小型本、全32丁
    • ※真筆の原本はもう一冊ある。大型本、全12丁
  • いずれも栗盛記念図書館蔵
 
 天明4年(1784)9月10日~12月末の日記。
 
 越後から鼠が関を越えて出羽の庄内に入り羽黒山に参詣、羽州浜街道を通って三崎峠に入り、由利郡に来て潟を見物してから10月10日、佐竹藩の雄勝郡にきて湯沢付近で年を越した。
 日記後半は主に湯沢の柳田村を拠点に、羽後周辺を巡遊しており出羽の習俗や正月の光景を細かに記している。
初めて耳目にする秋田弁や積雪の生活は真澄にとって驚きに満ちたものだったろう。
 ちなみに旅程の関係上、にかほ由利本荘が記録される唯一の日記である。
 天明5年(1785)5月に湯沢、7月に秋田から男鹿半島を巡った時期の同名の日記もあるが未発見。これは仮に《秋田のかりね続》と呼ばれる。
 
 文政5年(1822)に真澄は日記のほぼ全てを明徳館へ献納したが、当日記を含む初期の著作は自分の手元に残したらしい。真澄の死後、書屋より献納されたと推測される(菅江真澄遊覧記第1巻、内田武志)。
 

 

INFORMATION

関連アーカイブ・日記の道程

 

【天明4年(1784)】

  • 海士剥

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最終更新:2025/12/15