【やばせにんぎょう】
【工芸】
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秋田市の八橋人形の起源は、安永・天明年間(1772-1788))の頃、京都伏見の人形師が川尻鍋子山(現秋田市)に窯を開き、陶器や人形を焼いたのがはじまりとされる。
その後、八橋村(現秋田市)の和助、吉右衛門らが窯跡から原型を起こし、これが現在の八橋人形の素型となった。
八橋には山王日吉神社や天満宮があり、江戸時代後期には両社の祭典も盛大となり、久保田城下の歓楽地として賑わいをみせていた。
男の子が生まれると天神人形を飾り、女の子がこの節句には雛人形を飾るのを習わしにしていたこともあって、人形屋が軒を並べ大いに繁盛したといわれる。
製作工程は、
下ごしらえ-型取り-乾燥-窯焼き-絵づけ
の5工程に分かれる。
古式の合わせ型による型取りと、それぞれの工人による丹念な手描きの表情と絵付けの仕上がりに持ち味が出て、素朴で土臭い親しみが魅力の土人形である。
代々、受け継がれてきた原型は『おでんつぁん』と呼ばれて親しまれてきた天神様のほか、恵比寿・大黒・おいらん・花嫁など70種類にも及んでいる。
関連リンク
- 田代忠国旧宅跡
最終更新:2024/2/21
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