イタコ


イタコ

【いたこ】

【信仰】

引用:国立国会図書館 江戸職人歌合二巻
引用:国立国会図書館 江戸職人歌合二巻

 『梓巫女』ともいう。
一般にはゴミソ、モノオシ、イヂコとも呼ばれた。
 主に東北地方に多く存在した巫女。
葬儀や祭時にて祈祷や占時を行う。
中でも死者を降霊させ遺族と語らう託宣『口寄せ(ナナクラオロシともいう)』は有名。
禰宜でも僧侶でもなく、神仏習合を体現したような存在で庶民の信仰を得ていた。

 生来より全盲・弱視の女性が担い手とされたが、これは社会的ハンデを背負った人への救済措置でもあったのではないか。

イタコの祭礼は恐山と久渡寺(弘前市)が有名だが、下北の地蔵講とオシラ信仰が結びついたのは明治以降であるという。

 道具は数珠、梓の木で作った弓(梓弓)を鳴らしながら占いを行う。

 

 秋田ではエンチコ、ザトカカとも呼ばれる。
柳田國男はイタコは『市子』であるとし、古い時代の歩き巫女から来ているとした(巫女考)。
東海道中膝栗毛112 三編卷之上 日坂 巫女の口寄せ
東海道中膝栗毛112 三編卷之上 日坂 巫女の口寄せ

恐山

 

 


菅江真澄の記録

 

真澄はイタコ信仰に大きく興味を持って旅をしていた。

 

 

 天明4年(1784)9月22日、吹浦(山形県)にて。

腰に3尺程の弓を腰につけた盲目の老尼を見た。引き連れている馬はこの地域の習わしで尾の毛をみな巻いて束ねている。

秋田のかりね


  天明5年(1785)、秋田に入り湯沢にてイタコと遭遇する。

小屋の中で盲目の梓巫女(イタコ)が弓を弾きながら亡き霊の言葉をまるで傍らにでもいるように語り、人々は涙した。

小野のふるさと

《奥のうらうら》より、恐山全景
《奥のうらうら》より、恐山全景

  寛政5年(1793)、恐山にて。

声を上げて遺族が亡者を弔う『地蔵会』を見学している。イタコの原型か。

恐山の全景を図絵に描いた。

《奥のうらうら》

 厳密には真澄の恐山の日記にイタコに関する記述は書かれてない。

 これについては、下北の地蔵講とオシラ信仰が結びついたのは明治以降であるためと思われる。


関連アーカイブ

でわwiki関連リンク

◆参考文献


最終更新:2024/07/21

【松田広子/扶桑社】
【東映/三国連太郎 他】