![八郎太郎](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/none/path/sae55245365a0eef9/image/ib36249b40b4492f4/version/1709655350/%E5%85%AB%E9%83%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E.png)
【はちろうたろう】
【伝説】
編集中
鹿角の八郎太郎伝説に「十和田から追われた八郎太郎は、鹿角を湖にしようとしたが、
これを阻止するために鹿角中の産土神たちが『花輪臥牛大寝下(はなわふくしおおねした)』の鍛冶屋12人に鉄槌と鶴嘴を打たせた」とある。
「花輪臥牛大寝下の鍛冶屋」とは、福士川の流れを利用して始まった野鍛冶で、その住んだところが
「日向屋敷」と言われている。
やがて、花輪の街中に移り住むようになり江戸時代、花輪のまちでは鍛冶屋町が発達し、
文政年間(1818-30)には十数軒の鍛冶仲間が記録されている。
鹿角鍛冶の製品は「鹿角鎌」が有名で、南部一帯、秋田、津軽にも売り出されたという。
その特徴は、研ぎやすいいことと、柄を長く作りつけてあるので鎌に力が入ることだという。
土草を刈って堆肥をつくるにはもってこいの道具であった。
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◆参考文献
- 国立国会図書館デジタルコレクション
-
- 秋田叢書 巻
- 各種説明板
最終更新:2024/4/12
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